20130115

納車2日目は北千住へ~




納車2日目は、荒川CRへ。

納車の日に少しだけ走ったけど、真っ暗だったし、船堀橋~小松川橋の1区間だけだったので、ちゃんと走りに来ました。




って、写真撮ってばっかりだなー。
まったく、ご満悦顔しちゃってさー。

早くしないとまた真っ暗になっちゃうぞ。




外装7段のギアをガチャガチャしたり、人がいないのを見計らってワーッとこいでみたり、スポーツバイクの感覚をいろいろ試してみました。

まず自転車屋さんで、「えぇー?!車と逆?!」と大きな声を出してしまったギアの数字。小さな数字のギアで坂道を登るのは一緒だけど、ギアの重い軽いが逆のような???考えれば考えるほど頭ややこしくなるので、車のことは忘れることにしました。マニュアルなんてなかなかもう乗らないし。

スピードもいっぱい出してみましたけど、やっぱり犬がいたら危険ですね。ちょっと体をモジモジされただけでハンドルを取られる量が増えました。車体も軽いし余計みたい。それに犬の安全ももちろんですが、わたしもヘルメットしてないし。安全な速度がいいですね。

とはいえ、岩淵水門に行く時にヒーヒーいってた「20km/hくらい巡航」は、普通にこいでると出来てしまってるのにビックリ。


そんなこんなで平井あたりで、新しい自転車体験会はひとまず終了。

ゆったりと走りながら土手を見上げたら、高校生たちがサザエさんのEDみたいなシルエットで歩いてました。
楽しそうだなー。





冬のポタリングなので、真っ暗な土手でコーヒー&犬散歩の休憩ってわけにも行かないので、新しいドッグカフェ開拓。

と思ったら、CLOSE中でした。
フラれるのは実はもうこれで2回目だけど、また来ます。

犬と一緒に店内に入れるお店は貴重だし、モーニングもやってる街のフレンチってなんか気になるし。





そんなわけで、もう一度堀切橋を渡り直して、荒川の右岸へ。

東武電鉄の牛田駅と京成電鉄の関屋駅の間、100mあるかないかのところを通り抜けて、もう1ヶ所の候補店がある北千住へ。





実は、北千住って初めて来ました。

わたしが行ったことのある東京の街の中で、一番カオスだったかも。
でも、単色の街よりは好きです。

飲食店もすごい数。
なのに、なんでこんなにドッグカフェないんだろう?

たった1つの候補店もテラス席のみだったので、今回はパス。
あったかくなったらまた、ゆっくり来よう。




北千住の後は、墨提通りから隅田川を右岸に渡って南下。

時間があったので、山谷堀公園を通ってみました。
昔、山谷堀と呼ばれる川が流れていたところで、隅田川に一番近い橋は今戸橋です。

江戸時代、今でいう三ノ輪のあたりに吉原があった頃、町人などは普通に歩いて吉原へ入ったらしいですが、身分の高い人たちは顔を見られないようにと、隅田川から船で山谷堀を通って廓に入ったらしいですよ。現代のお忍びが個室だとしたら、江戸のお忍びといえば船、だったんだそうです、かっこいい。

その山谷掘公園をしばらく進んでみたら、「吉原大門」という信号がある交差点が出て来ました。

「おお!ここが!!」なんて思ったんですけど、びっくりするくらい普通の交差点で、絢爛豪華な花魁が歩く吉原があったという町の匂いは何ひとつありませんでした。

って知ることが出来たので、それはそれなりに来てよかった。
かなw




途中、やっぱり川が流れていたんだなーとわかる、いくつかの「橋」を含む地名がありましたが、「紙洗橋」という名前が気になりました。

紙漉きって水がいるから、このへんにあったってこと?

と帰宅してから調べたらやっぱりそうだったんですが、あったのは当時「浅草紙」と呼ばれていた再生紙のことで、今でいうティッシュペーパーなんだそうです。

また、古紙を一度煮てから紙を漉くため、一旦「冷やかし」と呼ばれる温度を下げる工程があったらしいんですが、その間やることのない紙漉職人がちょっと吉原まで行って、ヒマつぶしに女郎を品定めして回った・・・。ということから出来たのが、「冷やかしの客」という言葉だという説もあるそうで、なるほどーとうなってみたり。

ちなみに浅草には、紙漉職人が集まって住む紙漉町という旧町名があったのだそうですが、これは現在の田原町あたり、田原小学校のあたりというのですが、そこにある幼稚園がわたしが通った幼稚園だったり。呼ばれるように調べちゃったのかななんて思ったら、ちょっと不思議な感覚になりました。




その後は江戸通りを通って、両国橋から帰宅。
走行距離は43.4km。

荒川CRを走った後は、街中を走行するコースでしたが、街中はストップアンドゴーが多すぎて、サドル低いほうが楽チンかもって思いました。

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